ツイッター、ホーム、アクティビティ

この文章はかなり薄い記憶をもとに、恐らく脳内フィルターによって改竄された情報を辿って書かれている。一切の信憑性を保証しない。


Twitterにホームが追加され、すぐに消えた。私のアカウントでは3月11日の昼頃から導入され、3月15日の朝4時に消えた。僅か3日間半の仕様変更。きっとすぐに忘れる、全員、ひとつ残らず。
正確に言えば、新しい機能が追加されたのではない。今まで、ホームと最新ツイートの2つのタイムライン表示形式を選んで表示していたが、ホーム - 最新ツイートと並んで表示されるようになった。もともとホームの表示形式自体が、情報を削ったシンプルなTwitterライフを送らんとするユーザーに評判が悪かった。それがユーザー側にカスタマイズの余地はなく、常に表示されるようになった。批判の渦がつむじ風のようにTwitterのあちらこちらで巻き起こった。

3日間ホームのあるタイムラインを眺めていると、自分がTwitterを始めた当時の機能を思い出した。自分の記憶が間違っていなければ、2015年くらいだと思う。あの日のTwitterにはアクティビティという機能が確かにあった。
アクティビティはホームによく似ていた。自分の関心のありそうなツイートやフォロイーが反応したツイートが延々と流れ続ける。ただ一つ明確に違っていたのは、誰がいいねしたとか誰がフォローしているとかそういうことは伏せられていた。当時の感覚は自分の興味のあるツイートを途切れなく眺めることができる、便利機能だと思っていた。アクティビティに対する批判も目立つほどはなかった。
他人のいいね欄を覗くことは悪だ、という風潮がある。(と、言いつつ見ている人はかなり多いと思う。)また、タイムラインは時系列順であるべきだという主張も大きい。
アクティビティの反発が少なく、ホームが反発されるのは、Twitter上での活動がユーザー名を晒した上で他人に筒抜けにされる点、何故かそれがタイムライン面をしているという気持ち悪さからだと思う。
詰まるところ、TwitterはキラキラSNSを目指しているメインのユーザー層はキラキラ人種ではない。両者の軋轢は膨らみ続けているが、Twitterの空気が心地良く、それに代わる移住先はないのが現状だ。川魚は海では生きていけない。Twitterがなくなったら、どこへ行こうか。